神原甚造関係年譜

神原甚造肖像

明治17(1884)年

11月10日: 神原龜吉の長男として、香川県仲多度郡多度津村門前町(現・多度津町本通)の商家(屋号木屋)に誕生

明治29(1896)年

4月1日: 香川県立丸亀中学校入学

〔この頃か、創作的文章集『追懐一枝』〕

明治35(1901)年

9月: 第三高等学校(一部法科)入学

〔この間に、与謝野鉄幹新詩社明星に神原彩翅の筆名でたびたび短歌を出詠〕

明治38(1905)年

7月: 第三高等学校卒業

9月: 京都帝国大学法科大学入学

〔この間に、「明星」に短歌出詠、無題詠草集『蜂火 屈辱的条約とかやの結ばれし時』など〕

明治41(1908)年

7月: 京都帝国大学法科大学卒業

7月31日: 司法官試補

9月: 京都帝国大学大学院において刑法研究に従事(明治43年10月まで)

12月: 『警察犯処罰令疏義』(中沢明盛堂)を刊行

明治43(1910)年

7月: 長女恒子誕生

明治44(1911)年

12月16日: 京都地方裁判所判事に任官

明治45(1912)年

5月17日: 京都区裁判所判事

「洛陽法律学講習会講義録」を『法政資料』誌に連載開始

大正2(1913)年

5月28日: 京都地方裁判所判事を兼任

「洛陽法律学講習会講義録」を集成して『刑罰論』(京都帝国法政学会)を刊行

大正3(1914)年

12月21日: 大阪区裁判所判事兼大阪地方裁判所判事

大正6(1917)年

12月: 二女佐余子誕生

大正7(1918)年

1月6日: 妻スミ、二児を残して病没

〔亡妻哀傷歌400余首〕

〔この年より創刊号雑誌の収集を開始〕

大正8(1919)年

3月: 京都区裁判所判事

大正9(1920)年

5月10日: 京都地方裁判所判事

大正10(1921)年

3月10日: 神戸地方裁判所部長判事

10月10日: 京都地方裁判所部長判事

〔この頃より京都を主に古書収集を開始〕

大正11(1922)年

6月1日: 「古資料収集記録帖」第1冊、冒頭日付

大正13(1924)年

10月10日: 東京控訴院判事

大正14(1925)年

4月5日: 大審院判事

〔東京を主に収集活動を開始〕

昭和11(1936)年

8月27日: 高等官一等

昭和17(1942)年

9月8日: 勲二等

昭和19(1944)年

10月26日: 「古資料収集記録帖」第17冊、この日を以て終わる

昭和20(1945)年

3月30日: 大審院部長

3月31日: 依願免本官

4月13日: 叙従三位

昭和23(1948)年

3月: 弁護士登録、挨拶状配布

昭和25(1950)年

1月19日: 文部教官に任命され香川大学長に補せられた

昭和29(1954)年

4月2日: 香川県立中央病院にて逝去

4月15日: 香川大学葬

昭和30(1955)年

蔵書約8,800点を神原文庫として香川大学附属図書館に収蔵

昭和39(1964)年

2月: 『神原文庫分類目録』刊行

昭和63(1988)年

神原氏遺族より約3,200点の追贈を受け神原文庫に収蔵

平成6(1994)年

3月: 『神原文庫分類目録(続)』刊行



【出典】